国際化と英語公用語化は、関係ない

2010年6月、楽天の三木谷浩史社長が、今後グループ企業の海外進出を加速させ、海外取引高を70%にまで伸ばす戦略の一環として、社内の公用語を英語とすることにしたと発表した。
海外の人材とビジネス戦略を共有していくためには、英語でコミュニケーションできることが不可欠なので、日本人同士であっても、会議などでは英語で話すことを義務づけるという。
この話を聞いて、「なるほど、先見の明がある」「さすが放送局を乗っ取ろうとするくらいの人は、考え方が違う」なんて感動する人は、この御仁と同じくらいおっちょこちょいの人だ。
オレに言わせると、国際化、つまり企業が海外に進出することと、社員に英語教育を押しつけることとは、まったく関係がない。強いてあるというなら、「無関係」という関係があるくらいのもの。
よく考えてごらん。二十何年間、人によっては三十年以上も、日々日本語に接し、日本語で考えてきた人たちが、にわかにウッシッシーだかイッヒッヒーだかの会話学校に通って、外人さんとおしゃべりができるようになったからといって、外国人の、それもこれから世界経済の中核となるアジアの人たちと、微に入り細をうがった意思疎通なんてできるようになんか、なりっこない。
だって、その人たち、おそらく日本語でも満足に意思疎通ができない人が多いんだよ。英語を公用語にしたら、確かに昨日までネクラで挨拶もしなかった人が急にフレンドリーになって ”Hi, Hiroshi. What's new?” なんてしゃべるようになるかもしれないけど、それが「国際化」(なんて言葉は、そもそも英語にはないけど)とどう関係するの?
だれが考えても、社内に「ESS化現象」、つまりお互いにわかったフリをしてパングリッシュやポングリッシュを飛び交わすような状態が起きるのが容易に想像できる。社内の植民地化が起きるわけ。
―Where do you from?
―Oh, I from Kobe.
なんていう英語でも、日本人同士なら、誰からもおとがめを受けずに意味が通じてしまうんだから恐ろしい。日本人同士で会話すればするほど、変な英語が固定していく。これを干し柿現象*という。(注)「干し柿現象」ヘタなりに固まること。
そんなヒマがあったら、お隣の国の中国語や韓国語を、カタコトでもいいから話せるようにしておいたほうがず〜とビジネスの場面で役に立つ。
オレ自身、中国や台湾へ行って英語で商談したことが何回もあるけど、これは危ないなと思うことがしょっちゅうあった。お互いに、それぞれの国に固有の概念で、英語では表現できないものをカットしていることに気づくからだ。
さらに言えば、日本語そのものや、日本の伝統文化、それに近隣諸国の歴史すら知らない人が、流暢なように聞こえるだけの英語を振り回すなんて、かえってバカにされるだけだから、やめておいたほうがいい。
誰か言ってやってくれ。「三木谷さん、アンタの英語も社内だけにしておいたほうがいいよ」って。みんなお互いにわかったフリをするのも給料のうちだって我慢してるんだから。


こんな短絡思考がなぜまかり通るのか?