オリンピックに見る「日本男児」の劣化

 北京五輪の野球準決勝で星野ジャパンが韓国に惨敗した。サッカーでも女子は4強に入ったが、男子は結局一勝もできなかった。
 それに比べ、ソフトボールの上野由岐子は、ひとりで連続3試合、413球を投げ抜いて優勝した。ちんたらちんたら年間二、三千球をほうっただけで何億円もかっさらっていくプロ野球選手は、上野の爪のアカでも煎じて飲んだほうがいい。頭なんか丸めなくていいから、年俸の1割ぐらいは返上して、アマチュアスポーツの団体に寄付するべきだ。
 スポーツの世界に限らず、今の時代の男の意気地なさは目を覆うばかりである。いつから日本の男はこんなにだらしなくなってしまったのか。
 電車の中で女性が酔っぱらいにからからまれていても、若い男どもは見て見ぬふりをする奴らばかり。結局、間に割って入るのはオレたち中高年だ。
 思うにこれは、少子化の影響で甘ちゃんに育てられた男だらけになったことと無関係ではないね。ひとたび義侠心に燃えたら、相手がどんな強敵でも、何クソってむしゃぶりついていくような男は、天然記念物的な存在だもん。
 そのくせ、集団で弱いものイジメをするときは、「本領」を発揮する。自分が安全な場所にいさえすれば、どんな凶悪なことでも平気でできる。ネットで強がりを言って個人攻撃をする奴らも、覆面してるからこそできることで、お天道様の前に引きずり出したら、「エッ、こいつが?」ってびっくりするような青白い男ばかりだ。
 日本男子がこういう男だらけになることは、女性にとっても、好ましいことであるはずがない。男は男の世界で揉まれてこそ、強くなれる。男の子を男の世界に放り込むことを躊躇してはいけない。そして何より、「父権」の意義を認めなければ、男は永遠に男になれない。最高の教育を授けた結果、最悪の犯罪を犯すような男になるのは、父親の影が薄い家庭が多い。
 男を鍛えるために徴兵制が必要だという議論にはオレは与(くみ)しない。モヤシ男は、何人集まってもモヤシだから、そんな連中に鉄砲を持たせても意味はない。それより、オヤジが不在でも一家の大黒柱を支えていけるような、自立した強い男を育てることが大切だ。その点、一定期間農業に従事させる「徴農制」なら意味がある。食糧自給率を高めることは、国を護ることと直結している。
 スポーツ界の男子不振は、日本の家庭のいびつな状況を映し出しているとしか思えない。

女に飼育されても、男は男になれない。

ミッチャンのエセエッセー                    by 竹下光彦

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