レリハラの被害は甚大だ

 セクハラ(セクシャル・ハラスメント=性的ないやがらせ)、パワハラ(パワー・ハラスメント=職務上の地位を悪用したいやがらせ)、モラハラ(モラル・ハラスメント=精神的ないやがらせ)はよく使われる言葉。でも、まだレリハラ(レリジャス・ハラスメント religious harassment=宗教上のいやがらせ)という言葉はほとんど使われていない。ググってみても、2006年1月17日現在で5件しかない。
 でも、レリハラはとても深刻な問題だ。問題として取り上げるだけでも勇気がいるという人がいる。やがて大きな社会問題となって浮かび上がるに違いない。
 職場の同僚のほとんどが特定の宗教の信者であるとき、その中で自分だけがその宗教に入信しないでいるのはたいへんなストレスだ。陰に陽に、さまざまな嫌がらせやイジメを受けることになるのだから。
 かつてオレの会社の社員が新興宗教に凝り、社長であるオレも入信を勧められたことがある。とにかく教祖の書いた本を読んで、講演会に出席しろという。
 オレは宗教には関心があるし、無神論者ではない。ごく普通の仏教徒であり、神道やキリスト教にも関心がある。でも、新興宗教や衆を頼んで入信を強制するような宗教にはウサン臭さを感じ、抵抗感がある。そんなとき、オレはこう答えることにしている。
 「みんなが崇敬する神仏に帰依しようとする心はあります。しかし、その宗教団体を運営する人間まで信じる必要はないでしょう」と。
 一部の新興宗教や既成の宗教団体の中には、信者の数の拡張だけを競い合っているのではないかと思うものが少なくない。他人を救うことによって自分が救われるのだそうだ。ずいぶんいい加減な話ではないか。そんな論理はマルチ商法のそれと変わらない。商品やアフターケアより、営業部隊だけが異常に増殖しているのも共通の特徴だ。
 「いい商品なんだから、いっぱい普及させて世の中を幸せにしましょう」なんていうけど、テメーだけが金持ちになりたいという欲をカモフラージュしているに過ぎない。他人を幸せにするヒマがあったら、そんなシステムや組織に頼らず、まず自分が幸せになって見せろといいたいね。
 くだんの社員に対して、オレは、「その本はさらっと読んだけど、要するにいろんな宗教書のパクリだ。ゴーストライターに書かせているに決まってる。講演会に出るくらいなら、それ以上に深いオレの宗教観をたっぷり聞かしてやるから今度の休みにオレの家に来い」と言ってやった。結局そいつは理由をつけて来なかった。まさにレリハラとパワハラのぶつかり合いだ。
 悪徳商法でガラクタをつかませられる人や、くだらない宗教に入信させられる人は、どちらも自分の信念を持たない気弱な人だ。オレみたいに説得しようとしたらその百倍くらい言葉を返されそうな人間には誰も近づいてこないもん。オレの口ぶりから“同業者”と思われるからだろう。
 オレは、レリハラをする人の最大の罪は、その被害者にまともな宗教に対しても不信感を抱かせてしまうことだと思う。宗教などは、みんなそんな薄っぺらなものだと思わせてしまったら、もう二度と敬虔(けいけん)な心を持たなくなるだろう。セクハラの被害者が、性に対してゆがんだ感情を一生涯持つようになってしまうのと同様に。

人を救うはずの宗教が人を悩ませてどーすんだ

(C) 2006 by Mitsuhiko Takeshita

ミッチャンのエセエッセー                        by 竹下光彦